カウンセリングに来られた40代後半の女性がご主人とのことで悩んでいました。
「主人は私のこと、愛してないんです!」
「いつも私の話なんて興味なさそうに他のことしながら聞いてんだか聞いてないんだか」
私は
「では、どうしてもらったらご主人に愛されてると感じられますか?」
と質問しました。
女性「話を最後までちゃんと聞いてくれること」
私「ご主人があなたにしてくれてくることはないですか?」
女性「ないです!(きっぱり)怒」
私「(笑)たとえば送り迎えしてくれるとか?あなたがやることに口出ししないとか?」
女性「それならあります。駅まで迎えに来てくれたり、私の興味のある学びのお金をだまって出してくれたり」
女性「あ、一生懸命働いてくれてます。そのおかげで私はいろんなことができてるのかも」
だんだん、変容してきました。
この女性の「愛」の定義は、「話をちゃんと聞いてくれること」でした。
ひとりひとり、言葉には「定義」がくっついています。
その定義ゆえに、当たり前にある日常の「愛」が見えなかったようです。
当たり前は見えない
ご主人が妻を送り迎えするのも
妻のやりたいことにだまってお金を出すのも
家族を養うために働くことも
全部「愛」です。
淡々と過ごす日常は、愛だらけ。
「話をちゃんと聞いてくれることが愛だ」と思っているとそれが見えないのです。
他にもよくある愛の定義は
一緒にいるのが愛
遊んでくれるのが愛
私を楽しませてくれるのが愛
褒めてくれるのが愛
怒らないのが愛
ありのままを受け入れてくれるのが愛
などがあります。
これって、愛ではありません。
真の愛は「成長を促すこと」「成長に繋がること」
時に「厳しさも愛」
あなたの愛の定義も、今ここで少し見直してみませんか?